衆議院議員 神田潤一のブログ

衆議院議員1期目(青森2区選出、自民党公認)の神田潤一です。 「ふるさとの思いを受け継ぎ、新時代をひらき、つくる」をモットーに活動する日々の思いを綴ります。

    今年6月4日に予定されている青森県知事選挙について、さまざまな報道がなされています。
    こうした中、明日、自民党青森県連の市町村・職域支部長・幹事長・県議会議員等の会議において、県知事選挙の候補者選定に関する議論が行われる予定です。
    明日の会議では、「さすが自民党だ」と言われるように、「自由で民主的な議論」が行われることが期待されますが、時間も限られており、会議の中で私の意見を詳しく述べることは難しいかもしれませんので、あらかじめここに書いておきたいと思います。

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    (写真は本日の東奥日報より)

    0.(あらかじめ)結論

    あらかじめ、現時点における私の考えをここに述べます。
    ・(当たり前のことですが)青森県知事は今後4年間の青森県のリーダーを決める大事な選挙であり、自民党は国政・県政与党の責任として、県民の声をよく聞き、丁寧に議論をして候補者を選ぶ必要がある。決して党の論理や県連の論理を優先するべきではない。
    ・今回出馬宣言をしている小野寺青森市長と宮下むつ市長(正式な出馬表明順)は、ともに自民党が産み、育ててきた素晴らしい若手政治家であり、お二人が今後10年、20年、さらに活躍していく道を探るべき。
    ・現状は、県知事選挙についてさまざまな意見が存在している状況。拙速に結論を出すのではなく、時間をかけて丁寧に県民の声、自民党員の声を聞き、議論を尽くすべき。

    1.これまでの経緯とこのブログの位置付け(読み飛ばしていただいて構いません)

    概ね新聞記事に出ているとおりですが、これまでの経緯を、事実のみ簡単に箇条書きで書きます。
    ・自民党が推薦し、5期・20年間県知事を務めた三村申吾知事が退任を表明
    ・むつ市の宮下宗一郎市長と青森市の小野寺晃彦市長が、相次いで出馬の意思があることを表明(正式な出馬表明は、小野寺青森市長、宮下むつ市長の順)
    ・県連としては、選考委員会(江渡聡徳衆議院議員が委員長)を設置し、推薦の要請のあった2人のうちのどちらに推薦を出すべきか検討中
    ・その過程として、1月21日(土)に小野寺・宮下両市長から、県知事選挙出馬の理由や決意等を聴取。また、1月29日(日)に、自民党の市町村・職域支部長・幹事長・県議会議員等による会議を開催し、意見を聴取する予定

    私は、上記選考の過程で、選考委員会の顧問として議論に関わってきました。
    一方で、正式な選考委員ではないため、「全会一致」を目指すとされている最終的な意思決定の場に加わることはできません。
    また、選考委員会の決定に従って知事選挙を行う場合に、現時点では「党議拘束」を掛けるという方針(注)が示されており、私も自民党員としてそれに従う必要があるため、決定に至るまでの過程で悔いのないように自分の意見を述べておこうと考え、選考委員会等の場でも意見を述べてきました。

    (注)私は、知事選挙の投票の際に「党議拘束」を掛けること自体に必ずしも反対するものではありませんが、党議拘束をかけなくてもいいようにしっかりと議論すべきという立場です。

    選考委員会や国会議員の中にはさまざまな意見があり、私がここで書くことは、残念ながらまだ、選考委員や幹部の間で大きな賛同を得ているわけではありません。
    しかしながら、私の周りの方々と意見交換する中で、比較的多くの県民・自民党員の方々が私と同じような考えを持っていることもわかりました。
    さらに多くの県民・自民党員の方々のご意見を集めるためにも、私の考えを広く発信し、さらにオープンな議論を促す必要があるのではないかと考え、このブログを書くことを決意しました。


    2.県知事選挙に対する考え方

    (当たり前のことですが)青森県知事選挙は今後4年間の青森県のリーダーを決める大事な選挙であり、自民党は国政・県政与党の責任として、県民の声をよく聞き、丁寧に議論をして推薦する候補者を選ぶ必要があります。
    決して党の論理や県連の論理を優先するべきではありません。
    県民の声からかけ離れた結論のもとに自民党として推薦を決定し、選挙戦に突入した場合には、落選という大きな痛手を負うことになります。
    その場合には、自民党は今後4年間、県政野党として厳しい立場に立つことになります。
    また、その前に行われる統一地方選挙(県議会議員選挙や市町村議会議員選挙)においても厳しい戦いを強いられることになるでしょう。
    それだけでなく、青森県政と国政の与野党が捻じれることになり、青森県の政策を決定し、執行していく上で、さまざまな混乱や困難が生じる可能性があります。
    それは自民党だけでなく青森県や青森県民にとって必ずしも望むべき状況ではないと思います。
    そうした事態を招かないためにも、自民党県連は、自民党員の意見、県民の意見を幅広く聞いた上で、どちらの候補を推薦するべきか決定する必要があると私は考えます。
    現時点ではまだ、そうした幅広い意見の吸い上げと、それらの意見の集約ができている状況とは言えないと考えています。

    3.二人の候補者について

    今回出馬宣言をしている小野寺青森市長と宮下むつ市長は、ともに自民党が産み、育ててきた素晴らしい若手政治家です。
    だからこそ、お二人から、これからも自民党と緊密に連携したいとして、今回の推薦の申請をいただいているものと思っています。
    私は、お二人が今後10年、20年、さらに活躍していく道を探るべき、と考えます。

    今回の知事選挙の報道を見ていた他県選出の複数の国会議員の方から、「青森県の自民党には40代の若い立派な市長が二人もいるんだね」「県知事選挙に若い首長が二人も立候補するなんて羨ましい(選考は難しいだろうけど)」という感想をいただきました。
    そうです、小野寺市長も宮下市長も、他県がうらやむような立派な若手のリーダーです。
    二人とも、県政だけでなく国政においても活躍できるキャリアと能力を兼ね備えています。
    このお二人には、今後10年、20年と、長きにわたって青森県や国全体のために活躍してもらわなければなりません。
    この知事選挙において、どちらかを切り捨てるようなことはすべきでありません。
    二人ともを活かす道をギリギリまで探るべき、と私は考えます。

    4.意思決定の時期について

    現状は、県知事選挙についてさまざまな意見が存在している状況にあります。
    こうした状況の中で、拙速に結論を出すのではなく、時間をかけて丁寧に県民の声、自民党員の声を聞き、議論を尽くすべき、と私は考えます。

    報道にもある通り、また私の周りの方にも意見を聞く中でも、小野寺市長を推す声、宮下市長を推す声、どちらも甲乙つけ難いとして両方を推薦すべき(またはどちらも推薦すべきでない)という声など、まだまださまざまな声が上がっています。
    私は、こうした状況の中で拙速に結論を出して進もうとすると、各支部・県議会議員・市町村議会議員等の意見が割れ、4月の統一地方選挙に悪影響が及ぶことを懸念します。

    早く推薦を決めて選挙準備に入るべき、という意見もあります。
    通常の選挙ではそうだと思います。
    しかし、今回は大変厳しい選挙が予想される中、どちらの候補を選ぶ場合でも、県内の自民党員が一致団結して、必死になって戦わなければ勝利を掴むことができません。
    一致団結して、必死になって戦うためには、みんなが納得するような「大義」が必要です。
    ところが、現状のようにさまざまな意見が混在する中にあっては、まだそうした「大義」は見つかっていません。
    多くの自民党員が一致団結できる「大義」が見つかるまで、丁寧に意見を聞き、徹底的に議論する必要があります。
    「大義」のない中で推薦候補を決め、「党議拘束」をかけて選挙戦に突入すれば大変な混乱が起こることでしょう。
    それは絶対に避けなければなりません。
    そのためにももう少し、時間が必要だと私は考えます。

    それではいつまで時間をかければ良いのでしょうか。
    十分に時間をかけて議論をして「大義」が得られるまで、というのがその答えになりますが、現実的にはどこかのタイミングで選挙準備を開始する必要があるため、時間が経つに従って、「丁寧に議論するメリット」を「推薦候補を決めないデメリット」が上回るようになるものと思われます。
    そのタイミングがいつなのかは色々な考え方があるものと思われますが、私は一つの目安として「県議会議員選挙が終わるまで」を提案します。
    4月9日の青森県議会議員選挙が終わるまで、小野寺青森市長と宮下むつ市長が、ともに「自民党の青森県知事候補者」として県内をくまなく歩き、ご自分の政策や想いを訴えれば、県民の意見を幅広く聞く機会にもなります。
    各選挙区で立候補している候補者が、小野寺市長か宮下市長、時には両方を街頭演説会や決起集会に呼べば、県議会議員選挙も盛り上がり、「自民党にはこんな素晴らしい県知事候補者がいるのか」と幅広く知っていただく機会にもなります。
    そうして、県議会議員選挙が終わったところで意見集約をすれば、今よりも多くの人が納得する結論を得られるのではないかと思います。
    もちろん、その前に議論が収束し、「大義」が共有され、推薦者を決定することが望ましいと思いますが、現在の意見の発散状況を見ると、県議会議員選挙まで結論を出さないことのデメリットよりもメリットの方がずっと大きいのではないか、と私は考えます。

    5.終わりに

    新聞報道の論調やインターネットの書き込み、私の周りの方々のご意見などを見ると、自民党青森県連は自民党のことしか考えていない、青森県民の声を聞こうとしていない、というご批判が高まっています。
    私は、選考委員会などの議論の場で、上記の意見を繰り返し述べています。
    つまり、選考委員会などでは比較的公平で率直な、「自由で民主的な」議論が行われています。
    また、明日(1月29日)行われる市町村・職域支部長・幹事長・県議会議員の会議においても、「自由で民主的な」議論が行われる予定です。
    こうした公平で公正な手続きは、津島淳県連会長の方針により進められているもので、私は完全に津島淳県連会長のこうした方針を支持しています。
    一方で、選考委員会や県連幹部には、様々な意見があり、その板挟みの中で津島会長は大変なご苦労をされています。
    また、様々な意見や発言が報道されることなどにより、上記のような自民党県連に対する批判につながっているとすれば、我々は真摯に反省し、行いを改めなければなりません。
    なぜなら、(最初に書いた通り)青森県知事選挙は、今後4年間の青森県のリーダーを決める大事な選挙であり、自民党は国政・県政与党の責任として、県民の声をよく聞き、丁寧に議論をして候補者を選ぶ必要があるからです。
    決して党の論理や県連の論理を優先すべきではないからです。

    (補足)「誓約書」についての経緯と私の考え

    1月21日(土)の両候補者の所信聴取の際に示した「誓約書」が、新聞紙上などで物議を醸しています。
    その内容は以下の通りです。

    誓約書
    令和五年六月に執行される知事選挙にあたり、自由民主党本部及び自由民主党青森県支部連合会の選考結果に従い、決定後は党推薦候補者の当選に向け最大限の協力をすることを誓約する。
    (日付と署名欄)

    この誓約書は、面接前日に示されました。
    私はこれを見て、「こんな誓約書を出して署名させたら、踏み絵やパワハラと捉えられる恐れがある」と直感して、津島県連会長に「こんな誓約書は絶対に出してはいけません」と意見を申しました。
    津島県連会長は、私の懸念を正確に理解し、選考委員会の場でその懸念を紹介して議論していただいたようです(私は選考委員ではないのでその場には入れませんでした)。
    その結果、
    ・この誓約書は県連が推薦者を決定し、党本部に申請するときに必要になるもの
    ・その時に署名してもらう必要があるため、参考資料として渡すこととする
    ・ただし、誓約書に署名するかどうかは選考の条件としない
    ということで渡すことになったと伺いました。
    私はそれでも渡すべきでないと思いましたが、手続き上の書類、ということで了承しました(今考えれば了承すべきでなかったと反省しています)。

    誓約書をめぐる、両候補者との面接の際のやりとりについてはここでは書きません。
    面接の際のやり取りがメディアに漏れること自体、自民党県連の信頼を毀損する行為であり、私はそのことを漏らした幹部に猛省を求めます。

    面接後、私の懸念した通り、この誓約書のことが次第にクローズアップされています。
    津島県連会長は、再三にわたって上記の箇条書きの説明を丁寧に行なっていますが、他の幹部から「選考の条件ではないが重要な判断材料だ」といった発言が繰り返され、批判が収まるどころかさらに高まっている状況です。

    色々な意見があること自体は否定しません。
    ただ、この誓約書が候補者の心理に対してどのような意味を持ち、自民党員や青森県民がどう感じるか。
    政治家である以上、公党の幹部である以上、こうしたことには敏感であるべきだと考えます。
    私の「誓約書」に対する考えは以上です。

    4日間のフィンランド視察の3日目。
    マリン首相に会ったり、NATO加盟申請に至った経緯やデジタル関係の取り組みの説明を受けたりしたが、なかでも夕方の日本人のスタートアップ関係者とのディスカッションは、この視察で感じたことの総ざらいのようなとても有益なミーティングになった。

    その内容を端的に表しているのが、写真の「トラスト社会」というページである。
     

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    1.トラスト社会
    冒頭の写真は、ヘルシンキの隣町・エスポー市のスタートアップ支援組織の清水真弓さんの説明資料の1ページである。
    その抜粋は以下の通り。
     

    <トラスト社会=フィンランドの社会の特徴>
    ・国民・企業が北欧の福祉・平等精神の価値観を共有
    ・国家や組織の透明性が高く信頼度が高い。Happy Tax Payer
    ・人生でやり直しができる社会基盤。ありのままでいい。生きやすい
    ・失敗を恐れず、失敗から学ぶ姿勢
    ・活発な人材のモビリティ。人が繋がりやすい
    ・ヒエラルキーが低く、誰とでも話しやすいフラットな文化
    ・未来志向、競争より共創。重複や無駄を嫌う
    ・ボランティア・助け合いの精神
    ・労働者の権利・休憩の重要性を共通認識


    つまり、上記のようなお互いを尊重し、信頼し合うフィンランド社会・国民の特徴が、スタートアップや新技術などに対する取り組みを推進する力になっているという説明だった。
    今回の視察を通じて、このよう素晴らしい国民性を随所に感じることができたが、これには歴史的な経緯などから元々持っていたものと、国の制度や政策によって育まれたものの両方が背景になっているように感じた。
    具体的に、前者は厳しい自然環境・隣国との関係や誠実で勤勉な国民性、後者は教育や高福祉・高負担の社会制度、ということになるのではないか。

    2.歴史的な経緯や国民性
    1)厳しい自然環境や隣国との関係
    今回の視察で、緯度が高いために朝10時近くに日の出、16時前には日の入りとなり、フィンランドの人たちは、朝夕の通勤時間は真っ暗、つまり暗いなかで働き始めて、勤務が終わると暗くなっているという生活を送っていることに改めて驚いた。
    また、今回の4日間で一度も太陽や青空を見ることがなかった。
    一番南に位置するヘルシンキでこうした状況なので、国土の3分の1を占める北極圏では、冬は太陽が昇らない時期が何ヶ月も続く。
    もちろん、寒さも厳しく雪も多い。
    厳しい自然の中で農作物を育てるためには困難が多く、水深の浅いバルト海では魚も豊富に獲れるわけではないという。
    そして東にはロシア、西にはスウェーデンという大国に挟まれ、歴史的に、ほとんどの時期がどちらかの国に支配されていた。
    スウェーデンとは比較的関係は良好だが言語・文化が違う。
    一方でロシアに支配されている時期は、強大な権力を持つ皇帝の権力の下で、民族としての独立性や自律性を発揮することができない。
    そうした厳しい環境の中で、「SISU(シス)」という無口で我慢強い、不屈と言われるフィンランド人の国民性が出来上がったとのこと。
    つまり、自分達が置かれた厳しい環境や状況を、まずはそのまま受け入れ、じっと耐えることができる国民性である。


    2)誠実で勤勉な国民性
    こうした厳しい環境の中でも自分達の文化や領土を守るためには、誠実で勤勉、お互いを信頼して連携するよう努める必要があったのかもしれない。
    そのように長年努めてきたことが、上記の「トラスト社会」につながるフィンランド人の気質を形作ってきたのではないだろうか。
    ただ、こうした国民性は、度重なる地震や台風などの災害に見舞われながらもじっと耐え、何度も立ち上がってきた日本人の国民性とも近いように思った。
    日本との類似性については後述したい。


    3.教育
    「トラスト社会」を形作るために大きな役割を果たしているのは、やはり教育であろう。
    その特徴は、幼児教育と教師の質、無償で手厚い支援、リスキリングなどの再教育、といった特徴にまとめられるのではないだろうか。
     

    1)幼児教育と教師の質
    今回の視察で訪問した保育園では、徹底して創造性と自主性を育む教育が行われていた。
    保育士・教師が一人当たりで担当する子供の数は、3歳未満で3人まで、3歳以上で7人までと、保育士・教師の配置が非常に手厚い。
    日本での保育士一人当たりの担当人数が2030人であることを踏まえると、いかに保育士・教師の目が行き届いているかがわかるだろう。
    保育園のカリキュラムは、その保育士・教師に任されている。
    見学した中では、
    YouTubeの映像に合わせながら長さの違うプラスチックの筒で床を叩いて音楽を奏でたり
    ・市販の電気の実験キットを使ってカナヅチやハサミなど身の回りの電気を通すものを電線で繋ぎ、子供5人が電極を握って手を繋いで、それらの道具を触ってみることで音が出るおもちゃを作ってみたり(言葉ではなかなか伝わらないかもしれないが、身の回りのものや自分達の体を使った電気の実験である。実際にやってみたが、僕らでも面白かった笑)
    ・紙で作った王冠や風呂敷のマントを被って、自分達で役を割り振り、シナリオを作って即興の演劇をやってみたり
    YouTubeの映像に合わせて歌いながら北欧の国の名前と地図を覚えたり
    といった、独創性や創造性、自主性を育む授業(でもあり遊びでもある)が行われていた。

    これらの教材やカリキュラムは基本的に教師に任されているが、教師一人ひとりが自分が面白いと思うことを工夫しながらやらせてみることが基本になっているという(電気の実験の教師に聞いたところ「自分が化学オタクなのでどんどん思いつくんだよ」とのこと笑)。
    また、「来週のクラスで何をやるかを準備する時間」として毎週5時間を確保し、子供たちの保育から離れて、クラスで試した新しいカリキュラムの内容や結果をお互いで共有したり、新しい教材を探したり、教材を作ったりする時間に充てているという。
    つまり、幼児教育(多分小学校以降の教育の全て)の創造性や自主性は、能力の高い教師自らの創造性や自主性、つまり「教師自らが楽しむこと」から生まれているのではないかと感じた。



    2)無償で手厚い教育支援
    こうした教育は、幼児教育と小学校から高校までの義務教育期間(2021年に義務教育期間が16歳から18歳に引き上げられた)はもちろん、大学などの高等教育まで無償で行われるという。
    特に大学の修士課程や博士課程では、教えたり研究したりすることに対する報酬も支払われるので、基本的に教育で経済的な負担を感じることがほとんどないという。
    さらに、学校はほとんどが公立。
    つまり上記のような(日本では一部の富裕層向けの私立学校でしか受けられないような)創造性・自主性を育む質の高い教育が、公立の学校で、全国的に、誰に対しても行われるような徹底した制度づくりがなされている。
    日本でも一部の市町村で「高校までの教育の無償化」が実施されるようになってきたが、これを国の施策として、しかも原則として全ての学校で提供しているという徹底ぶりに頭が下がる。

    3)リスキリングなどの再教育
    フィンランドでは、多くの仕事が資格に基づいて行われている。
    人々は資格をとって就職し、定期的に離職して別の資格を学び直し(リスキリング)、新しい資格を身につけて次の職業についていく。
    失業手当が充実していて、学び直しの費用にも手厚い支援があるために、安心して離職・転職ができるのである。
    費用面だけでなく、働きながら学び直す人に対して、仕事を早く切り上げるなど学ぶ時間の確保を支援する制度まである。
    資格に基づいて採用されるため、資格を取らなければその職業には就けないが、逆に資格を取れば自分のやりたい新しい仕事への就職はほぼ保証されるという。
    そうして、前よりも高い給料の職業、自分のやりたかった職業へと、どんどん転職を繰り返していくのがフィンランド流のキャリアの作り方になる。
    そのようにして人々が転職を繰り返していくことで、雇用の流動性が自然と確保され、生産性や成長性の低い業界から高い業界へと、どんどん労働者が流入していく。
    つまり、資格に基づく採用や、失業手当、リスキリング支援などの制度が、産業の新陳代謝を促す仕組みにもなっている。

    これから「リスキリング」を「人への投資」の大きな柱として進めていこうとしている日本にとって、フィンランドのこうした制度は大いに参考にしなければならないと感じた。 


    4.高福祉・高負担の社会制度と政府への信頼度
    フィンランドをはじめとする北欧諸国は、よく知られているように高福祉・高負担の国である。
    フィンランドでは、消費税は通常24%、所得税は累進性が高く最高で60%。
    日本でこのような税制を実現しようとすると、何度も解散・総選挙を行い、幾つもの政権が倒れるだろうし、それでもなお実現には長い時間がかかるだろう。
    それでもフィンランド国民には、不満の声は少ないという。
    むしろ、自分達のことを「Happy Tax Payer」、つまり「喜んで税金を払う人たち」と呼んでいるとのこと。
    この背景には、高い税金に見合うだけの教育などの公的サービスが受けられている、という満足感があるのであろう。
    そしてもう一つ大事なのは「政治への信頼感」だという。
    フィンランドでは、政治家の金銭スキャンダルや汚職はほとんどなく、偉ぶらずに国民の声を聞き、大胆に新しい政策を立案し、推進していく政治家は、尊敬の対象になっているという。
    高い税金を払っても、それを適正に支出する政府と、それを実現する政治家に対する信頼感。

    これは本当に羨ましい、いや是非見習うべきことだと強く感じた。


    5.日本との類似性・親近感と相違
    1)日本との類似性と親近感
    フィンランドに住む日本人は、フィンランド人と日本人との類似性を感じることが多くあるという。
    フィンランドは、財布を落としても鉄道の駅や警察にちゃんと届けられる。
    これは、日本にも同様の状況があるが、欧州の多くの国ではそうではなく、他の多くの国を含めて極めて少数の国のみでみられる美徳らしい。
    また、フィンランドは「公共のトイレがきれいな国」である。
    他者のために無償の公共トイレをきれいに使うという我々日本人にとっても当たり前のことは、やはりフィンランドや日本など、一部の国でしかみられないことらしい。
    そして、意外なことにフィンランド人は日本人に対する親近感を持っているという。
    それは、上記のような日本との類似性もあるが、日露戦争も大きな要因になっているという。
    つまり、1900年台の初頭に日本とロシアとの間で行われた日露戦争は、1905年に日本の勝利という形で決着したが、この日本の勝利は、それまで強大な権力でフィンランドを支配していたロシアに対して、フィンランド人が自主性を主張するきっかけとなり、1906年の(ロシアの支配下でありながら)初の国政選挙につながった。
    そして、日露戦争の敗戦によってロシア皇帝の権威や権力、統治力が大きく低下し、1917年のロシア革命とソビエト連邦の成立につながり、フィンランドの独立へと至ることになった。
    今回の国会議事堂見学でガイドを務めてくださった高齢の女性が、ガイドツアーの最後に、「フィンランドの民主化や初めての国政選挙、そして独立につながるきっかけを作ってくださった日本の国会議員の皆さんを案内できたことは大変光栄でした」とおっしゃってくださった。
    こうした歴史的な経緯のフィンランド人にとっての重みは、我々の知らなかったフィンランドと日本との強いつながりを感じさせてくれた。

    2)日本との相違点
    一方で、相違点も多いように感じた。
    まず、上述の「政治への信頼感」はその最たるものだろう。
    我々政治家は、改めて襟を正し、あらゆる機会をとらえて、日本の国民の皆さんから信頼していただけるよう、謙虚に、偉ぶらず、丁寧に声を聞いて、国民のための政策の実現に努めなければいけないと強く感じた。
    この他の相違点として大きいのは、「現実的(プラグマティック)」ということだろう。
    フィンランドの人々は「Pragmatic」(現実的)という言葉をよく使うという。
    今回の視察でも、核燃料廃棄物の地下処理場「オンカロ」やヘルシンキの地下シェルターの見学、教育制度やデジタル化政策などの説明で感じたことが、まさにこの「現実的(プラグマティック)」ということだった。
    つまり、制度を作って終わりではなく、その制度が十分に機能するように、詳細を検討し、徹底して準備し実施した上で、常に見直し、使える状況にしておくということが徹底されているということだ。
    これは、厳しい自然や隣国との関係の中で、そうした現実的な準備を徹底しておかなければ国土や国民の生命・財産は守れないという現実的な強い危機感からきているのではないだろうか。

    日本においても、「現実的(プラグマティック)」に徹底して制度・政策を検討し、実行していくことは、大いに見習わなければいけないと感じた。

    6.今後に向けた考察
    今回の視察を通じて、「日本もそうでしょ?」「日本ではどうやっているの?」「日本は大丈夫なの?」という問いかけを何度も受けた。
    例えば、「日本もロシアに接している国でしょ?」「日本では女性の活躍をどうやって進めていこうとしているの?」「日本でも少子化・高齢化が進んでいるでしょ?」という文脈で聞かれることが多かった。
    これは、フィンランド人の日本に対する親近感や関心の高さを表しているのだろう。
    そしてもう一つ、日本と一緒に取り組みたい、というメッセージも感じられた。
    フィンランドは、ロシア情勢などの国際的な政治・外交・経済などの面で、日本も信頼できるパートナーだと思ってくれている。
    女性活躍が進んでいない国の一つとして、日本に対して自分達の取り組みから協力し、貢献できることがあるかもしれないと思ってくれている。
    そして、(子育てや教育、女性活躍が進む国にしては意外なことに)深刻な少子化・高齢化が進むフィンランドは、同様の状況にある日本と連携し、協力して、こうした課題を解決したいと思ってくれている。
    つまり、フィンランド人は、日本のことを「国際的なトラスト社会における信頼できるパートナー」として捉えてくれているのではないだろうか。
    もしかしたら、だからこそサンナ・マリン首相は、我々にお会いしてくださったのかもしれない。
     

    「世界一幸せな国から信頼してもらっている日本」
     

    我々は、そのことを自覚しながら、フィンランドとの協力関係を深化・進化させていき、外交を含む様々な問題・課題を「現実的(プラグマティック)」に解決していかなければならない。

    そのことが、今回の視察から得られる一番大きなでメッセージなのだろう。 


     


     

    二日目の1月12日(木)は、リー・アンデルソン教育文化大臣やマッティ・バウハネン国会議長を表敬訪問したり、プレ・スクール(小学校入学前の1年間の準備クラス)や国会議事堂などを見学したりしたが、最も印象に残っているのが地下シェルターだった。

    まず、市内のあちこちにある地下鉄の入口のようなところから、エレベーターで地下約20メートルへ(電力が止まった時のために階段でも降りられる)。
    降りてみると意外とポップな感じで、普段は子供の遊び場やグランドホッケー場(4面以上確保)、駐車場などに使われていて、今日もたくさんの人たちが利用していた。
    この施設は6000人を収容可能とのこと。
    フィンランドでは法律で1200㎡以上の住居等には設置が義務付けられており、この施設も近くにあるオフィス街を建設する時に造られたもので、その建設コストはオフィス街の建設事業者が負担しているという。

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    しかし、事前に予習していたとはいえ、実際に設備を見ると圧倒された。
    ・2週間分の自家発電の燃料を備蓄し、電源も冗長化
    ・2000人分のベッドを用意(8時間ずつ、3交代で寝る想定)
    ・トイレを設置するための広大なスペースも用意されていて、黄色い枠にトイレ1台を設置するよう表示してあり、手洗い場も設置(冒頭の写真)

    さらに、地上で核爆発が起こることも想定し、
    ・外気を完全に遮断しても6〜8時間は耐えられるような自律空調システム
    ・衝撃波を和らげるために空気を取り入れる縦穴が何度も90度に曲がっていて、シェルターに空気を取り入れる直前で衝撃を止める衝撃吸収装置が設置してある
    ・放射能で汚染された人が入ってくることを想定し、シェルターの入り口手前で衣服や体を洗い流す設備を用意
    などなど、戦争や核攻撃の際に実際にどんなことが起こるか詳細に想定し、そのために十分すぎるほどの準備をしている。
    さらに、普段からボランティアも含めて、実際に設備を稼働させたり、出入り口を封鎖したりする訓練を定期的に行なっている。
    このシェルターは決して特別ではなく、むしろ標準的なもので、こうしたシェルターがヘルシンキだけで5500箇所、73万人分あるという(ヘルシンキの人口は60万人)。

    ロシアによるウクライナ侵略や北朝鮮によるミサイル攻撃の激化を受けて、日本でもシェルターを増設すべき、という議論が始まっているが、「大都市の地下街や大きなビルの地下駐車場、地下鉄のホームなどをシェルターとして指定すべき」といった議論に留まっている印象がある。
    フィンランドのように、明日にでも隣国から攻められたり、突然核攻撃に遭うことを想定し、その際に国民を救うために何が必要かを詳細に議論し、そのための設備を実際に準備し、定期的に訓練している様子を見ると、戦争に対する危機感や覚悟の違いを痛感させられた。

    そういえば、フィンランド大使館員は最近、「日本の備えは大丈夫なのか?」「ロシア、中国、北朝鮮に囲まれて、どうしてそんなにのんびりしていられるんだ?」と聞かれるという。

    昨日オンカロでビジターセンターの所長が言っていた以下の言葉が、改めて耳に蘇ってきた。

    Don’t be afraid,
    Don’t be scared,
    But, be prepared.

    (心配するな、恐れるな、でもしっかり準備しろ)

    フィンランド視察の初日、羽田からの飛行機が首都・ヘルシンキのヴァンター空港に到着したのが6:20。
    そのままバスに乗り、3時間半かけて北西に向かった。
    世界初の核燃料廃棄物の最終処分場である「オンカロ」の視察に向かうためだ。

    フィンランドは日本と似て、石油や石炭といった化石燃料の少ない国である。
    このため早くから風力・水力・バイオマスといった再生エネルギーと原子力エネルギーへの依存度の高いエネルギー政策をとってきた。
    現在は、電力における原子力エネルギーへの依存度は35%にのぼり、再生エネルギーも含めたエネルギー自給率は52%程度となっている(日本の自給率は13%程度)。

    こうした中で、「現世代が使っているエネルギーの廃棄物は現世代で処理すべき」という考えのもと、1983年には政府が、高レベル核燃料廃棄物の最終処分場を設置する方針を決定した。
    その決定を受けて、地質検査や住民投票などの立地選定が行われ、2001年にヘルシンキの北西270キロにあるオルキルオト島に最終処分場の立地を決定し、国会承認した。
    これが「オンカロ」(フィンランド語の洞穴)である。
    その後、2004年から建設が開始され、現在は全長5キロ、地下の最大深度約450mの坑道がほぼ完成し、今年の春から試験運用開始、2025年頃には本格運用が開始される予定となっている。
    ちなみに日本ではまさに今、最終処分場の選定をめぐる文献調査が行われており、今回のオンカロ視察は、立地に関する今後の議論に対して大いに参考になることが期待される。

    到着して、ビジターセンターに入り、所長から概要の説明を受けた。
    それによると、このオルキルオト島の地下に最終処分場の建設を決定した理由はいくつかあるが、プルトニウムが天然ウラン並みの有害度まで減衰するまでの期間である「10万年」を想定したうえで、
    ・地表に比べてリスクが少ない(紛争、氷河等による侵食、人為的な略奪等)
    ・そもそもフィンランドは地震が少ない(10年間でM3以上の地震は0回、日本では4900回)
    ・他の地域よりも地質が安定している(固すぎず柔らかすぎず、地下水の影響が少ない)
    ・地域の理解が得られやすい(すでに原発が立地している)
    などの理由から、この地に選定されたとのこと。

    所長とのランチの後、実際にオンカロに入ることが許可された。
    ヘルメットを被り、緊急時のための酸素ボンベを腰ベルトにつけて、車に乗って出発。
    地上に開いたトンネルの入り口から坑道に入り、10メートル進むと1メートル下る坑道を、ぐるぐると降って行く。
    まさに、リアル「センターオブジアース」だ。
    暗闇のトンネルを延々と下っていくと、時間や方向の間隔がなくなるような気がしてくる。
    延々に降るかと錯覚し始めた頃、車が止まった。
    車で5キロ走り、地下430mほどまで潜ったという。
    地上では2℃だった気温が、17℃まで上がっていた。
    地下430mというと、東京スカイツリーを地下に向けて逆さまにし、その上の展望台(450m)近くまで潜ったことになる。
    この地下430m付近に長さ330mほどの横穴を約100本掘り、それぞれの横穴に重さ2トンのキャニスター(廃棄物のパレットを鉄と銅の容器に入れたカプセル)を30〜40本ずつ埋めていく。
    このようにしてキャニスターを埋設した横穴を毎年1本ずつ増設していき、2120年頃まで百年かけて、フィンランドの原子力発電所から出るすべての廃棄物である3250本のキャニスター、合計6500トンを埋設することになるロング・プロジェクトだ。

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    これだけのコストと手間をかけて「現世代の廃棄物を現世代で処理」しきろうとするフィンランド人の覚悟に純粋に敬意を感じた。
    一方で、まだ結論が出ていない課題もあるという。
    それは、有害物質が自然に還るまでの10万年の間、廃棄物が誤って掘り起こされないようにするとともに、悪用されないようにするため、この「オンカロ」の存在について、「危険性を警告し続ける」べきか、「完全に忘れさせる」べきか、議論が続いているとのこと。
    前者をとれば悪意のある者に掘り返されるリスクが残り、後者を取れば何も知らない者が誤って掘り起こすリスクが残る。
    (この辺りの議論は、映画「100000年後の安全」に詳しい。映画としても静謐な映像美の中で壮大な議論を扱う、見応えのある映画です)
    このほかにも「10万年」という途方もない期間を想定したプロジェクトには無数の「もし」という疑問がありそうだ。
    そもそもこうした何千世代にもわたるプロジェクトを進めること自体が、現在の人類に可能であるのかどうか、大胆さと謙虚さの両方を持ち続けなければ進められないプロジェクトのように感じた。
    日本ではこれから、こうした「無数の疑問」に答えを出していかなければならない。

    1時間ちょっとの地底ツアーを終えて地上に戻る時、少しずつ地上が近づくにつれて空気が軽くなっていくような、体のどこかに入っていた力が徐々に抜けていくような、そんな気がしていた。
    地表に出る直前に一瞬だけ、「地下にいる間に数年経っていたらどうしよう、いや10万年が経っていたら・・・」と考えて鳥肌が立った。
    もちろん、地上でも時間は1時間ちょっとしか経っていなかった。
    少しだけホッとした。

    (以下は、本日開催の八戸市・十和田市の成人式で述べた祝辞を再構成したものです)

    新年、明けましておめでとうございます。
    また本日、成人式を迎えた皆さんには、心からお祝いを申し上げます。
    希望に満ち溢れた皆さんをみていると、私が皆さんと同じ二十歳だった頃のことを思い出します。

    私が二十歳だった頃は、「箱根駅伝」を目指して毎日毎日練習に明け暮れていました。
    中学・高校・大学と陸上競技の長距離に取り組んでいた私は、大学では箱根駅伝への出場を目指しました。
    毎日厳しい練習を積み重ね、少しでも可能性の高い年を狙って留年までして、チーム力も大いに向上しましたが、残念ながら大学チームとして予選会を通過できず、夢だった箱根駅伝出場は叶いませんでした(当時は学生連合チームのような個人を選抜する制度はなく、個人としても出場できませんでした)。
    それでもその努力の結果として、「大学の個人選手権で1500m全国3位」、「青森東京間の都道府県対抗駅伝で区間賞」など、いくつかの望外の成績を残すこともできました。
    これらの経験は私にとって、大いなる挫折でしたが、その後の自信にもなりました。

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    そうした経験を振り返ったときに、本日成人式を迎えた皆さんには一つの言葉を贈りたいと思います。
    それは「つみたて」という言葉です。

    「つみたて」という言葉は、「長期定額積み立て」のように、資産形成の手法などを説明する際に使うことが多いと思います。
    つまり「株価や投資信託のように変動のある資産に投資する際には、長期間にわたって一定の金額を積み立てることで、安定的に資産形成を図ることができる」という投資理論で、専門的には「ドル・コスト平均法」などと呼ばれることもあります。
    この理論の優れているところは、景気の悪い時など資産価格が低迷している時には定額で多くの資産単位が購入できるため、価格上昇に転じるとその時に購入した資産が大きく伸びて資産価値全体を押し上げることです。

    ただ、「つみたて」という言葉は、皆さんに資産形成を奨めるためだけに贈るものではありません。
    むしろ、皆さんの夢を叶えるために「努力のつみたて」をお奨めしたいのです。

    例えば、昨日よりも今日、0.1%だけ成長できるように努力してみてください。
    英単語をいくつか覚えることでもいい、スポーツの練習に打ち込むことでもいい、仕事で新しいチャレンジをしてみることでもいい。
    時にはとことん悩んでみることも0.1%の成長につながるかもしれません。
    0.1%は1000分の1です。「1000分の1だけ自分が成長するように」と思えば、それほど難しいことではないように感じられると思います。
    でも、その0.1%の努力を1年間毎日続けると、1年後には1.44倍以上になります(スマホの電卓で「1.001の365乗」を計算してみてください)。
    さらにその努力を2年間続けると2倍以上になります(1.44の2乗です)。
    4年で4倍、6年で8倍、8年で16倍、10年で32倍以上になります(実際に1.001の365乗の10乗は38倍を超えます)。
    今の自分が10年後に32倍以上に成長していれば、どんな大きな夢でも叶いそうな気がしませんか?

    「努力のつみたて」の大事なところは、「ドル・コスト平均法」と同じように、「自分の調子が悪い、厳しい環境の時にこそ努力を継続する」ということです。
    厳しい時につみたてた努力が、そのスランプを脱した時に大きく自分を成長させてくれます。
    毎日毎日、少しずつの努力を積み立てて、ぜひ今、皆さんの心の中にある淡い夢を、10年後には現実のものとして実現してください。

    そしてその夢を実現する過程では、皆さんは家族や先生、地域の人たちなど、たくさんの人に支えられて進むはずです。
    皆さんが気づかないところで皆さんを支えてくれている方々への感謝を忘れずに努力をつみたて、夢を実現したらその感謝をどうすれば返せるか考えてみてください。

    本日、成人式を迎えた皆さんには限りない可能性があります。
    自分の可能性を信じて、まっすぐ進んでください。

    本日は、本当におめでとうございます。
     

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